沿革
【沿革】
院長 藤井敏男
「糸島こどもとおとなのクリニック」は2017年の開設で、運営母体は佐賀整肢学園です。「なぜ糸島市に“佐賀”の名前の施設があるのだろう?」かと
不思議に思われる方も多いと思います。
佐賀整肢学園は未だポリオ後遺症例が多かった1960年に、佐賀市金立町に九州大学整形外科教室と佐賀新聞社の協力で肢体不自由児施設として開設されました。1981年に当時福岡県立新光園医療課長だった原寛道先生が園長に赴任して以来、佐賀県に協力し、重心、療護、特養施設など、こどもから高齢者まで佐賀県の福祉事業を担ってきました。また、唐津地区の障害を持つこども達が佐賀市金立の整肢学園に1時間かけて通院している苦労を見て、2002年に「佐賀整肢学園からつ医療福祉センター」を開設したところ、「からつセンター」に糸島地区のこども達が多数通院するようになりました。
それは、2002年に糸島近隣の障害児リハ施設として、姪浜駅西に「福岡市立西部療育センター」が開設されたものの、その利用者は福岡市民に限られ、糸島のこどもたちは西区に住民票を移さないとリハビリが受けられなかったからです。この糸島のこどもたちの重たい負担を憂えた松月糸島市会議員が、2016年にからつセンター長の原先生に「障がいを持つこども達のリハ施設を糸島地区に作ってほしい」と懇請され、その要望を受けて県域を超えて当院が開設されました。
私がこども病院時代からかかわっている「福岡市立療育センター」の令和2年度年報では、「西部療育センター」(姪浜)の相談部門受診516名の内、発達障害児が400名と多く、そのため、申し込み後、専門医の診断を受けるまで3か月、診断後リハ開始まで3か月と、リハ開始まで6ヶ月かかっていて、リハは月1回と少いのが現状です。
当院では多数の訓練士のもとに、週1回、1対1で行う濃密な個別リハで、こどもたちは自分の身体をスムースに動かす訓練だけでなく、訓練士の表情や動作を読み取る作業を通じて、相手を理解する非言語コミュニケーションの発達も促進されていきます。幼児期は身心共に成長し発達するので、発達障害のこどもたちのリハは、早期開始が重要です。
今後も、スタッフ一同当院がこどもたちや地域の方々の健やかな生活に役立つことを目指します。
【佐賀整肢学園 副理事長 ごあいさつ】
原 寛道
(からつ医療福祉センター センター長)
当クリニックを経営している社会福祉法人佐賀整肢学園は昭和35年に当時流行していたポリオ児童に対応できる肢体不自由児施設として赤い羽根募金を基金に佐賀市金立町に設立されました。以来九大整形外科から医局員を派遣して維持発展してきたという長い歴史を持つ団体です。
その後は疾病の変化、障害の変化に伴い、事業内容もスタッフ構成も時代ともに大きく変わり、現在は1000名ほどの専門職の職員によって各種事業所が運営されています。
その中の一つがここ糸島こどもとおとなのクリニックです。
運営主体の佐賀整肢学園は社会福祉法人の規模で言えば大サイズと言えます。法人に所属する医師数も43名。看護職198名。リハビリ担当PT, OT, STは129名で医療機関としても大規模と言えます。
佐賀整肢学園の特色はなんと言っても福祉。特に「障害児者支援」です。
法人経営の基本理念として「感性」「情熱」「先進性」を掲げています。困ってる人の心を感じる感性、実践は当たり前のことであってさらに研究心を持ち新しい方法を探しながら進む心を持ついわゆる「先進性」の志を持つ続けること、そして何と言っても問われるのは福祉への情熱です。この三つの基本理念にそって糸島市へ貢献できればと願っています。
当クリニックでは医療事業と福祉事業を行っています。敷地面積や建物面積は十分に広く障害者あるいは家族が駐車しやすいように広々です。診療面では整形外科専門医、リハビリテーション専門医、小児科専門医、そして障害児者歯科専門医を配置し、いろいろな相談に応じることが出来るようにしています。
痛みや麻痺などの特殊な治療に対応できるように佐賀整肢学園からつ医療福祉センターや法人本部からの医師等の専門職の応援を受けながら満足いただける医療を提供するよう努力しています。みなさま、よろしくお願い申し上げます。